三上正光さんが
お亡くなりになりました

 本会の事務局長を務めております三上正光さんが、平成十四年三月三十日に逝去されました。行年55歳でした。慎んでご冥福をお祈り申しあげます。
 本会を代表して正木進三先生の述べた弔詞をご紹介いたします。

(写真 2000年3月11日 雪上観察会の下見で赤倉尾根をスキーで登っている三上さん)

 会員の方でも、そうでない方でも、三上さんをしのぶ思い出などがございましたら(まとまりましたら)、ぜひメールをください。この場を借りてご紹介したいと思います

阿部東会長、小野晃幹事より(本会・会報23号に掲載)

新聞に掲載された「三上正光さんの死を悼む」記事の原稿から
                       三浦章男 事務局長より(陸奥新報 2002年4月17日)


弔 詞

2002年4月4日
「岩木山を考える会」を代表して 正木進三

 三上さん,あなたは自然を限りなく愛した人でした。そして人々にたいして,深い慈しみの心を抱いていた人でした。小鳥の声,風にそよぐ木の葉,せせらぎの音などに耳を傾け,爽やかな野山の緑や 咲きみだれる可憐な草花を眺めているとき,人間は豊かな自然に囲まれていてこそ,本当に幸せになれるのだと,あなたはひしひしと感じていたことでしょう。目先の金もうけのために自然を破壊するおろかな行為が,人々から幸せを奪う。人々の幸せのために,美しい自然をいつまでも美しく保たねばならない。
 この思いが,ふるさとの自然を守るという,あなたが若いときから情熱を傾けて取り組んできた,ライフワークの原点であったに違いありません。あなたはすでに,白神山地や岩木山における自然の保全に,大きな貢献をされたのですが,環境の世紀といわれるこの21世紀にこそ,あなたを中心とした私たちの活動が,ますます重要になるはずでした。このような時に悲報に接するなどとは,誰もが予想しませんでした。痛恨の極みです。
 三上さん,あなたが阿部東さんと私の研究室に来られたのは,8年前,1994年2月のある夕暮でした。岩木山が年ごとに傷ついていくのを,もう黙って見過ごすことはできない。ふるさとのシンボルであるこのお山を守る住民運動を起こすために「岩木山を考える会」を作ろうと,一生懸命な努力の最中でした。そして私には,その会長をやれとの思いがけない要請です。40年間,実験室に閉じこもっていた私には,このような活動の経験がまったくありません。固く断ったのですが,最後には二人の熱意とねばり強さに負かされて,承諾てしまったのです。
 承諾はしたものの,その頃,問題になっていた弥生スキー場と岳スキー場の建設計画を阻止して,お山を守るために「岩木山を考える会」は何をするべきか,私には見当もつかず,とても心配でした。しかし,それはまったくの杞憂でした。三上さん,事務局長のあなたが,青秋林道の建設阻止を成功させた経験をふまえて,つぎつぎに有効な方策を練り上げ,幹事の皆さんと力を合わせて,それを実行していったからです。署名運動,シンポジュウム,連続講座,写真展,観察会,ビラ配り,新聞投書,デモ行進などを通しての市民への呼びかけ,異議意見書,陳情,請願,要望,会談などによる行政と事業者への働きかけ,市議会・県議会議員へのアピールなど,可能な限りの活動のすべてを精力的に,何回も何回も繰り返しました。その結果,弥生と岳のスキー場の建設は中止されました。
 しかし2000年の夏になって強引に着手された鯵ケ沢スキー場の拡張工事は,岩木山でもっとも美しいブナ林と藩政時代の文化遺産でもあるブナとヒバの混交林を無惨にも破壊し,天然記念物クマゲラや絶滅危惧種ニホンザリガニの生息圏を狭め,山麓の人々の生活をおびやかす暴挙でした。それを許した行政と司法にたいする怒りが,今でも燃え続けています。三上さん,鯵ケ沢スキー場との取り組みは,けっしてこれで終わったのではありません。あなたの遺志を受けついで,「美しい岩木山を美しいままで子孫に伝えよう」という合言葉のもとに会員一同結集し,その実現にむけての努力をたゆみなく続けます。
 思えば「岩木山を考える会」設立以来の8年間,私たちはあなたから,じつに多くのものを与えられてきました。あなたは大きい包容力で,私たちを温かく包みこんでくれました。疲れた時,困った時,寂しい時,腹が立ってどうしようもない時,オークのドアを開くと,あなたはいつも幅広い肩を正面に向けてどっしりと立っていて,にこやかに私たちを迎えてくれました。あなたと話していると,いつのまにか心が安らぎ,奥様がいれて下さるとてもおいしいお茶を飲むと,なんとはなしに爽やかな気分になったものです。
 三上さん,あなたは活動家によくある弁舌爽やかなタイプではありませんでしたが,素朴で誠実な語り口にはとても説得力があり,誰もが耳を傾けました。また,あなたは度胸のすわった人でした。どんな場面でも沈着冷静で,どんな人の前でも臆することなく,堂々と自分が正しいと思うことを自分の言葉で言える人でした。このような性格とやさしさとのむすびつきが魅力になって,じつにさまざまな人々があなたの周りに集まっていました。あなたと歩いていると,いたるところで知人に出会いました。官僚・政治家・新聞記者・農家・教員・レインジャー・スキー指導員・そば屋・居酒屋・ペンションの経営者,さらには元環境庁長官から山岳部や探検部の学生達まで,その交友の広さが,活動に必要な情報の蒐集と会員の拡大に,どれほど役立ったことでしょう。
 三上さん,有能な指導者であったあなたを失って,今,私たちはとても悲しんでいます。残念でたまりません。しかし,「岩木山を考える会」はこの悲しみを乗り越えて,美しい岩木山を美しいまま子孫に伝えるための努力を続けることを誓います。どうか,安らかにお休み下さい。そしていつまでも,私たちを見守っていて下さい。