三上正光さんを悼む


 悔しい…。
 岳開発アセスメント委員会、イヌワシの生息も無視して岳スキー場OKが決まった時、「闘いはこれからだ!」と励ましてくれた正光さん。二人で正木先生に会長をお願いしに行き、そして岳にはゴンドラがまだ出来ていない。
 白神山地、岩木山、正光さんの幅広い人脈に支えられ、バランスのとれた闘いを「岩木山を考える会」は闘い抜いて来た。吹雪の中の街頭署名、県庁や青森森林管理局への申し入れ、どれ一つとっても難しいものばかりであったが、決してひるむことなくしかも楽天的であったような気がする。
 今現在ばかりでなく、将来を見通した運動への確信があったに違いない。
 お酒が好きで魚が大好きという点でも私とは相性が良かったのかも知れない。ガンが正光さんを連れて行ってしまった。本当に悔しい。
 私は残念なことに正光さんと山行を一緒にしたことがなかった。イヌワシ観察で中村川に1泊したことが唯一の山行に当たるかもしれない。
 私は視力が弱いのでバードウォチングは不得意である。正光さんの鳥を見るすごさに敬服したのもこの時がはじめてである。以来、正光さんの目と耳は私の眼と耳の役目も果してくれたような気がする。
 ナチュラリストとは科学者を越えた人に与えられる称号である。自然を探究する人を自然科学者と呼ぶが、更に幅広い知識を持ち、自然をこよなく愛する人に与えられる最大の称号を正光さんに贈りたい。
 ナチュラリスト正光さん。運動の中では決して急ぐことのなかった正光さんが足早に現世を発たれた。きっと思い残すことが多かったろうと残念至極である。
 定めとはいえ、かえすがえす悔しい思いが寄せて止まない。正光さんの意志を継いで岩木山を自然保護区として認めさせていくために白髪頭をもう一度振りたてることを誓い、会員と共にご冥福を祈る。 合掌。

(会報23号より) 会長 阿部 東


 世の中、特に今の世の中では、何が起きても驚かない神経を鍛えておく必要があると考えていました。私も少しはそれが出来るようになったと思っていたのに、三上正光さんの突然の逝去には息を呑むしかありませんでした。昨年12月の入院以来、難しい病気だということは段々に分ってきていましたが、こんなに早く最悪の結果になろうとは信じられないことでした。
 これまで、青秋林道の阻止、白神山地でのシノリガモ繁殖確認とクマゲラの発見、白神山地や岩木山でのイヌワシの生態解明と保護、そして1994年「岩木山の真にあるべき姿を考え、それを守ること」を目的とした「岩木山を考える会」の設立以来、事務局長としての三上さんの活動は、誰にも真似の出来ない強く激しい行動力によるものでした。
 それを支えていたのは、常人とは違った生命力の持主だったからではないか、と私は思っていたのです。ですから、三上さんには「話が違うよ。」と言いたくなります。「今年は春が早いようだから、リハビリが終わって退院したら、一緒に春を見に行こう」と誘った時、三上さんはにっこりと楽しそうな表情になって、それが私との最後の会話でした。
 今、三上正光さんは禅林街の高台にある墓地で眠っています。岩木山がよく見える、というよりも岩木山としっかり向かい合って建っているお墓です。
 そのお墓で三上さんはこれまでやってきたこと、この先もっともっとやろうとしていたことを御山と語り合っているのでしょうか。そうであれば、三上さんは眠っているのではなく「岩木山を考える会」のこれからを見つめているのに違いありません。

(会報23号より) 幹事 小野 晃