百沢土石流災害について

NEW! 2005.06月 事務局長 三浦章男氏の著書での考察をこちらで紹介


 昭和50年8月6日未明に発生した百沢土石流は、被害の拡大にスキー場が及ぼした影響が大きかったと言われています。

 百沢スキー場の開設は昭和39年に始まり、敷地は国有林地で、蔵助沢付近の61.58ha。スキー場開設にあたり、約6haの土壌流出防備保安林(標高800以上)と水源涵養保安林(標高800m以下)が指定解除をされました。以後の拡張も含めた総森林伐採面積は19.63haとなっています。
 昭和49年の平坦化工事として、蔵助沢がゲレンデを横断する約200mのうち、さらに町道とも交差する約4メートルに暗渠用ヒューム管を埋め、礫が埋められ、その上がアップルロードの残土(*1)で覆われました。
 この残土が、災害時の土砂に混じって流下していたことから、土石流の発生・拡大との関係が専門家で議論されています。

 標高1460m地点で発生した土石流は、2号堰堤、1号床固工を突き破り、標高約500m地点でスキー場にさしかかり分岐しました。

1)沢・本流ルート 蔵助沢を下ったルート。コース部分を過ぎた後に3号床固工も越えて突き進みました。

2)道路ルート ゲレンデ内を走る町道沿いに下ったルート。

3)キャンプ場ルート キャンプ場手前の上方に樹木があり、大きな石・礫を阻止した効果は見事なものでした。

 スキー場を過ぎ、さらに約150m下の3号床固工を過ぎた地点で合流した土石流は、さらに下流の谷底、谷壁を一気に浸食して、百沢部落を襲いました。この間わずか10分ほどの時間であっただろうと推測されています。

*1 について

 アップルロードとは広域農道の愛称。建設の際に、丘陵を切り取った時に生じた土を残土と呼ぶ。白灰色、亜角礫〜角礫、軽石などを含む、やわらかい、泥岩質〜シルト岩質のもの。災害当時、スキー場に山と積まれていたアップルロード残土は、少なくとも4万5千立方メートルはあったと言われている。

 

 

 


 

保水能力のなくなった両尾根から土石と水が流れ込んだ。右が掘られた蔵助沢の底部約9m、樹木の幹の白い部分は土石流によって皮が剥がされたものである。高さは約3m、沢から溢れた土石流は地上3m以上に盛り上がって流れた。


 

蔵助沢の右岸尾根はその以前からスキーダイレクトコースとして森林が伐採されていた。
左岸尾根には百沢スキー場が開設され、これは現在同様樹木皆伐、砂漠状態であった。


被災者原告団による行政訴訟提訴 S 53.08.05

原告団の敗訴 H 01.05.25

参考文献

・「土石流裁判(岩木山・百沢)」 二葉宏夫 北方新社 1989.1

・「写真で見る弘前の災害」 大橋耕三

・「山のはなしあれこれ(II) おお悲し、泣くはみちのく岩木山」 三浦章男(リンク参照)

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