弥生跡地、弘前市が弘前大学と共同研究することについて

2007,02/24 岩木山を考える会会長 阿部 東

はじめに
 生態系は生物の自然な遷移により成立する。人間の叡知を越え偶然に近い形で形成されてきた生物の歴史は、今のところ、人間の力でそれを復元出来るという学問的な(理論的な)根拠は現在の科学ではないに等しい。しかし、トンボ池ややむを得ない人工的な動物園のような考え方もないわけではない。
 「岩木山というかなり大型の生態系にするべきだ」とする我々と市民との隔たりは当然あり得ることであり、市のものになったのだから市民の生活とどう関わるかについては譲歩も考えられるかも知れない。
 それだけに、市民とどう折り合いをつけるかについて市民と対話をしながら事を進めることが一番と考える。市長は違うかも知れないが、弘前市の行政体制は変わっていないのだから行政を含め一からやり直すことが大切である。
 これまでの経過から、たとえ意見が離れすぎ、混乱があっても、まずは市民の意見に耳を傾ける姿勢があって然るべきである。

 弥生スキー場跡地と弘前大学とのこれまでの関係・経緯について

1. 弥生スキー場建設計画には弘前大学教授がアセスメント等で参加していた。
2. 岳スキー場建設をめぐるアセスメントには多数の弘前大学教授が参加し、スキー場開設容認のアセスメント報告を提出している。
3. この時のアセスメント報告に対して疑問を持つ委員を中心に「岩木山を考える会」が発足した。
4. この時のアセスメント委員のうち、弘前大学教授は一人も「岩木山を考える会」には入会していない。
5. 岳スキー場建設アセスメント委員会委員長は弘前大学人文学部教授であった。
6. その後、「岩木山を考える会」と共に岩木山の自然を守る運動に参加された、これら以外の弘前大学教職員は多数いる。
7. 市民の中には弘前大学の関与は行政の隠れみのと指摘する声もある。

 以上のことから次項を提起したい。

1 .市民の声を出来るだけ多く聞く。(分裂したり意見の違いがあるかも知れない。)
2. 拙速は避ける。生態系はそこに住む生物の付き合いで出来るものであるから時間がかかるのは当然である。
3. 市民との話し合いの中から市民と共に大学も行政も学習する必要がある。
4. 生態系を守りながら市民が利用し、活用するにはどうすればいいかを探る必要がある。


「弥生跡地」えっ、弘大と市が共同研究

「弥生スキー場問題」が浮上してからの十数年間、少なくとも弘大側から「弥生スキー場問題」に関わる「反対・賛成」を含めた行動があっただろうか。本会会員にもかなりの弘大関係者(弘大名誉教授・現役の教授や助教授、講師等)がいて、彼らは一様に本会の行動に賛同して運動を勧めてきたが、それ以外の「弘大」関係者の中にこの問題に対して、行動をした人たちを私には確認出来ない。
 たとえば、スキー場建設に関わる市が提出した環境評価(アセスメント)は自然的な項目一つをとってみてもかなりずさんで、評価には価していなかった。しかし、それに対する意見やコメントは岩木山を考える会会員以外の弘大関係者からはなかった。
 最近の例として、岩木山自然体験型拠点施設建設についてだが、「建設予定地が歴史的・体験的に土石流地帯であること」を学問的に検証するべきだというような意見、また、担当の弘前市児童家庭課課長が「東京ディズニーランド」のようなものにして多くの人々にきてもらえるようにしたいと発言したことに対する経済学的な見地からの論評などは、いわゆる弘大関係者からは何一つなかったのである。
 まさに、市民をらしからぬ傍観者であって「見ざる・言わざる・聞かざる」が弘大関係者の「弥生スキー場問題」・「岩木山自然体験型拠点施設建設」に対する姿勢であった。専門家も多数いるだろうが積極的に「建設」反対を学問的に論評・言及したものはいなかったのではないかと思うのである。

 弥生スキー場や岩木山自然体験型拠点施設に関して、それを阻止するために先兵的に市と対峙して、市民社会に問題の本質を訴え続けてきたという自負を本会は持っている。その自負心からすれば、何で今さら、「はい、仰せごもっとも」と市からの申し入れを受け入れ、「共同研究」に取りかかれるのだろうかと思うのだがどうだろう。この思いは世間一般的な感情論としてはきわめて普通ではないのか。

 何はともあれ独断専行の前市政とはちがって「外部」との共同で客観的な判断や事実を取り入れていこうとする姿勢は、(これはきわめて民主社会では一般的なことだから評価するほどのことではないが、前市政との比較論として)評価しよう。

 だが、前述したように、これだと「市民の声を聞く前にレールを敷いてしまうという以前の市政(姿勢・施政)」と何ら変わらず「市井(しせい)」の政策とはなりえない側面をもっていると言えるのである。
「行政」は条例や法律による規制・決まりがあって、「大学」は学術・研究と何やら面倒で難しいことをしているのだろうと、いずれも市民からすれば「しきい」が高く、なかなかなじめないものである。つまり、市民とは距離感のある二者だけで、市民が直接関心を持ち、望むであろう「弥生跡地」を研究していこうという発想自体にも矛盾があるのである。行政サイドがこの矛盾に気づかないままに、弘大に申し入れをしたとすれば、弘大側でこの矛盾を指摘してほしかったものである。それとも何も知らない市民はだまって大学の研究者と行政に任せておけばいいとでも言うのだろうか。
 大事なことは、ここで取り上げられている「弘大」は決して市民の代表ではないということである。当該問題には現地での関わりを重視した調査やそれを続けてきた市民がその代表者と位置づけられるべきである。
 仮に「弘大と岩木山」「弘大と弥生跡地」という命題を掲げたときに、多くの市民はその接点を弘大の何に見いだせるのか、また逆に弘大はその接点を何であると市民に説明しようとするのかなど、疑問は大きい。

 市側にも言いたい。弘大と共同研究を否定はしない。弘大一法人だけでなく、これまで当該地や当該問題と深く関わってきた市民を「跡地」が持っている様々な要素と突き合わせて広く人選すべきである。本当の意味で「市井のこと」にすべきなのである。
 15年以上の経緯を持っている「弥生跡地」問題は、行政と大学だけで処理出来る問題ではないだろう。その二者で解決が可能なのであれば、ここまで長い年月は要しなかったであろうし、こじれなかったのだ。
 弘大が「弥生跡地」に市税を投入して新規事業を拡大していこうとしたことに「経済学的に反対」していたなら市民からの「税金の無駄づかい感」はこれほどなかっただろうし、税金投入も少額で済んでいたかも知れないのだ。
 現在は、この二者に対して、心ある市民ほどこれまでの行動から深い失望を抱いている。 当事者はこのことを肝に銘じ、忘れてはならない。もし、忘れているのならば、今すぐにでも思い出してほしい。