今一度原点にかえって、弥生スキー場建設予定地の跡地問題を考えてみよう

 「現在弘前市の赤字(借金)は一家庭あたり150万円を越えています。これほど借金を抱えているのにどうして金を使うのですか。子どもたちのために施設を造るよりも子どもたちに借金を残さないようにすることが大人としての務めでしょう。市長さん、市議会議員さん、施設を造りたいみなさん、それにこの事業に与している市職員のみなさん、そう思いませんか。ここを昔どおりの森として残しましょうよ。」

左図版名:「岩木山弥生地区自然体験型拠点施設・施設配置基本計画平面図」

 広さに注目して下さい。図版左上部の二重枠線部分が既存の「弥生いこいの広場」です。それと比べてみて下さい。前の文では3倍と書きましたが4〜5倍はありそうです。この広さに人工的な改変を加え、自然を破壊し、岩木山の景観を壊して施設を造ろうとするのがこの「計画」です。

1. それは未定のスキー場予定地に建設した残存物・予定地の人工的な形状改変・山林の伐採という修復不能な自然破壊をもたらしたということであり、さらにそれ以上の自然破壊を広げるものである。

2. それは結果的に公金である市税を使い数億円で私企業(弘前リゾート)の経営上の失敗からの残存物を買い取るということとさらに上乗せをして約20億円を使うということである。これはまったく筋のとおらない話で、公的資金の運用破壊をもたらそうとしているといっていい。

3. それは一握りの弥生跡地開発賛成者とその建設に群がる企業の現実的なメリットのために、弘前市は不透明な中で、市民とその子孫から「未来の保証」を奪ってしまおうとしていることである。
 未来世代にあるがままの自然を残すことを、未来世代に借金を残さないことを守れないならば、これは市民に対する反逆行為といえる。市の財政は逼迫して借財は増える一方だ。その中で、数億円の無意味な支出はますます未来世代に借金を残していくことにつながる。「子どもたちの未来のために」といくら言っても、このようなことをしているようでは、それは空しいまゆつばものに等しい。

4. それは市議会が市長の意を受けて、市民の信託があることを唯一正当な根拠としながらもこれまで数億円の公費支出賛成議員多数という「数」による強制力で市民の意思を無視し、自分たちの都合に従うことを求めているということである。
 これは民主主義の中で市民は信託を受けた市長とか市会議員に具体的な意思の決定を委ねその実現を託していることを考えると、賛成議員多数が賛成市民多数と整合性がない場合、市長とか市会議員は権力的な立場にいて、市民の負託を無視していることになり、民主主義を踏みにじることになる。現にこの資金が税金から支出されることに数万人の反対署名のあることや「前回の市長選の僅差当選」が、明らかに整合性のなさを物語っている。市長や市議会に市民投票にはかる勇気があるならばやってみろと言いたい。
 また、市議会の決定の仕方には市長と議員の癒着を裏付けるような作為があるし、その意味で賛成に回った市議会は、市政の監視やご意見番の役割を果たしておらず空洞化していると言える。

5. それは行政が都合の悪いことは出来るだけ非公開で押し通そうとするし、広汎な市民の声を無視するという姿勢をとり続けるものであるということである。
 市民の納得を得ようとすれば、より克明な支払い先や支払い金額を公開し、その信憑性、妥当性を明らかにするのが当然である。それを積極的にしないことは、時流となりつつある公開の原則(情報開示)を歪めているものである。
 また、市民から「筋の通らない支出という認識があるからだろう。」という疑念を持たれても仕方がないと言える。

6.  それは市長は地方分権にあって望まれる「自己変革を図り、権限と権利意識の不均衡に厳しく対処し私欲を抑え、(未来世代を含むところの)市民が癒される自然を護り増やしながら、民度の高い市民を育て、市民の自治能力を高める」者ではなかったということである。
 この跡地問題における構図が「鰺ヶ沢スキー場拡張」問題とあまりにも似ていて驚いている。以上項目がすべてスライドするという完璧な整合性である。
 行政は業者等への利益誘導に奔走するだけで市民のことなど眼中にない。弘前公園有料化にも見え隠れするこの姿勢を彼らに仕える職員までも是認しているとすれば「市民に仕える公僕」であるはずの市職員はみずからその責務を放棄していることになるのである。