*終了後に東奥日報に連載されました 07.03.17追加


ギャラリーNHK2007年企画展 三浦章男の『厳冬期の岩木山』写真展の案内

07年1月10日〜25日(NHK弘前支局ギャラリー)

企画展開催にあたって…

 写真は素人である。技術的にも質的にもまったく自信はない。これまでただの一度もいい写真を写したという体験もなければ感慨もない。ただ目の前に見えるものを写しているだけである。何となく気をつけていることはフィルムカメラの時は露出、最近はすべてデジタルカメラだからホワイトバランス程度である。
 そんなわけだからここに展示しているものは本来「ひと様にお見せできる」ような代物ではない。NHK弘前文化センター佐藤支社長からこの企画展の話があった時は正直そう思い、躊躇の気持ちが強かった。ではなぜ、このような写真展を開くのか。

 それは…岩木山は日常的に遠くから眺めることが出来る山だが、その現場に行ってみなければ、絶対見ることができないものやことがたくさんあるということ。遠くから眺めるだけでは「現場」を知ることが出来ないということ。現場で何が起きてどうなっているのかには関心の示しようがないということ等を…内包していることに因る。

 私はこれらを「見ることの横着さ」と言っている。「見ることの横着さ」は往々にして我々を現場に背を向けさせ、観念的主観に陥らせる。だが、この「見ることの横着さ」とは人の性(さが)であって攻められることではあるまい。
間接的だが展示された写真に接して「ああ、厳冬の岩木山はこうなのだ。」と知ることで「見ることの横着さ」はいくぶん減少するのではないだろうか。津軽人が愛してやまない「岩木山」の遠くからは見えない部分に触れてもらえると幸いである。ただそれだけである。

 写真の質を問われると、ただ恥ずかしくて「私は貝になりたい」気分なのだが、この際は勇気を出そう。そして、この機会を与えてくれたNHK弘前文化センター佐藤支社長には心から、大きな声で感謝を表したい。(三浦章男)
…ということなので、どうぞお出かけ下さい。お待ちいたします。


☆ 展示写真の案内 ☆

秋の写真から冬の写真をメインに春から夏へとの移り変わりを56枚の写真で提示しています。順番にどうぞ!
   秋 (3枚) 冬 (45枚)  春  (3枚)  夏  (5枚)
その中から数枚を紹介いたします。

1. 湯ノ沢錦秋と鳥海山南稜
  湯ノ沢は今では採掘していないが藩政時代から戦前まで硫黄が掘られていた場所だ。鋭峰岩木山と紅葉を後背としている草木の殆ど生えていない硫化水素ガス噴出とその臭気という特異な場所で動物の死骸が転がっている。
現在の岳登山道が敷設されるまでは、この沢を詰めて山頂に向かった。訪れる人はまずいない。
10月下旬 (湯ノ沢中腹部)

6. ブナ冬木立・霧氷透明
 わかんを着けても50cmは埋まる雪のラッセルをはじめて1時間くらいは経ったであろうか。ようやく体温も上がり汗ばんできた。気温は低く、氷点下18℃。寒い。明るい森は樹氷の花を咲かせて凍っていた。青い空気も凍っていた。そしてすべてを透徹する鋭さで私を責める。美は優しさよりも厳しさの方が強いもののようだ。「蒼空に凛として映える透明な美」…畏れ多く私にはこれ以上の表現は出来ない。早く立ち去るにこしたことはない。
12月 (岩木山岳登山道ブナ林内)

10. 蒼き快晴の中、朝七時低い陽光を斜めに浴びて白く輝く山頂
  標高1250mのテント場から登りはじめた時は白い薄明の中で細かい霧状の雪が舞っていた。登っていく方向の積雪は少ない。ただ西風が強く、雪面を硬い結晶状の粒雪が猛然と走り、飛散する。薄明がブルーに変化して明るい空が頭上に広がった。それは蒼い快晴、山頂は日を浴び白く輝く。今日は山頂に立たせてもらえるだろう。
1月 (赤沢左岸から山頂へ向かう)

25. 厳冬の造化・躍動する彫塑
  山頂に近づくに連れて、晴れの度合いは強さを増して山麓部を含めて岩木山の周囲からはまったく雲影が消えていた。すばらしい天気である。昂揚感が湧いてくる。もう一つ登ると山頂だ。一の神坂を登り詰めた。そこを私はテラスと呼んでいて風が創った彫刻と塑像のギャラリーだ。快晴の今日は「照明効果」が最高で、しかも、山麓には岩木川の流れまで映し込んで広さと立体感をかもしだしていた。ここは噴火の後に中央火口丘から転げ落ちた大岩が累々と屹立している場所。それは造作の神に硬質の雪をまとわされて彫塑とされていた。しかし、みな噴火のエネルギーを秘めながら躍動していた。わたしの昂揚感は躍動感に替わった。
2月 (岩木山二の御坂下部)

30. 薄氷・耳成岩陰影
  三月にもなると二、三日前の踏み跡が残っていることがたまにある。焼止り小屋から鳥海尾根を雪面に出ているダケカンバの「梢」を標識代わりにして登る。視界は10mぐらいかも知れない。相変わらず西からの風にあおられる。風を左の肩に受ける感じで大沢に降りる。まもなく種蒔苗代だ。一気に鳳鳴小屋に駆け上がる。小屋の前には踏み抜き跡がところどころにあった。先日来た私のものだ。視界の利かない中を丹念に「踏み跡」を追いながら山頂に辿り着いた。山頂は風雪が次第に晴れ上がっていった氷点下の世界だった。眼下東面には薄氷をまとった耳成岩が白い茵に青い打ち掛けで仰臥していた。
注:耳成=ミミナリと読むかも知れない。山頂を頭部とすれば耳に見えるから。      
3月 (頂上直下東面)

39. 海老のしっぽを氷の法衣として立つ石仏
  西風が強く雪は飛ばされてしまい積雪は少ない。30cmほどしかない。その所為でこの辺りは春の訪れが早い。5月の上旬にはミチノクコザクラが咲きだす。海老のしっぽを法衣に貼り付けて立っているのは三十番石仏だ。千手観音である。近くにある三十一番石仏は風によって摩耗して、尊顔を拝むことは出来ない。千手観音のようだが判別は難しい。千手観音が多いことは「先人たちの苦悩の多さ」を示す。それを思いながら合掌した。仏はただひたすら風に向かって立ち尽くす。   
3月 (赤倉道風衝地)

霧氷樹林は墨絵の世界
(43.濃霧も凍えるブナの森44.静寂、凍結したブナの森45.無風・森林限界が「墨絵の森」の出口に見られる世界)
 空間を覆う濃霧もよく見ると小さな結晶をなしていて、細かい雪である。それに包まれたぶなの枝々には、霧氷が凍結して、銀粉をまぶした白い花を咲かせ、ちょっぴり厚ぼったい白い葉をつけている。
 足元には、踏むときしみ音を立てる積雪が延々と続く。まるで、空間も平面も、四囲が宇宙が、そして吸い込む空気までが微粒の雪。

 積雪は少ないが、乳白色の、広い雪の風洞を登っているのと同じだ。なんと豊かで多彩ではないか。雪稜で見る晴れ間は本当に青い。こう書くと一般的イメージとしての「青」という色に限定されてしまうので困るが、ここでの青は深い海の青に、透明度を付加した青と考えてほしい。かといって群青色でもないし、青鈍色でもない。
 この青には、樹木の霧氷がよく合う。対照的な美であり、細かい銀粉までが、その輪郭を明確にする。判然とした美が、造化の妙がそこにはある。

 ところが、小さな雪の結晶粒が、空間に満ちて漂う濃霧の中では、この輪郭の明確な美は消滅する。だが、なんとうまく出来ていることだろう。自然の造化は奥が深い。そこには、混沌とした融合の美が存在する。さらに、乳白色の中には微かな白の輪郭が見え隠れする。それは時には、水に洗われた墨絵の世界のように流れ、太い線がぼ〜と霞んでは消えてしまう。
 
 青い空を背景とした樹木の霧氷は、額縁の中の絵画でしかない。

 濃霧の中での霧氷樹は、まさに動く幽玄。乳白色の銀幕が何層かになり、それらがくっついては全てが、白い闇に変わる。
 そして突然、黒くて太い輪郭が佇立しながら全的に流動する。溶解、そして明るい霧散。静かではあるが止まることはない。常に動いている世界。それは生き物の集団でもあり、また、全体が巨大な生き物でもある。           
 これが濃霧の中の霧氷樹林だ。乳白色に彩られた冬のブナ林を登ることは、墨絵の世界に遊ぶのと同じで、楽しいものだ。
     (以上三浦章男著:「陸奥の屹立峰・岩木山」から)

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49. ショウジョウバカマ(猩々袴)
 雪消えとともに真っ直ぐ天に春をうかがうかんざし。残雪が消えると直ぐに命萌え出して林床に愛らしい花が咲いた。青空が広がり、芽吹きは一段と加速している。蜜を求める昆虫たちが間もなく飛んで来るだろう。ショウジョウバカマには「葉の先端が地面に触れた所に、新しい芽が出てくる。不定芽という。種子で子孫を残すほかに、不定芽でも増える。」という面白い特性がある。葉からも増える珍しい植物だ。雪が消えて間もないところ、はっとして歩みが止まった。ロゼット状の葉の袴を地面にしっかりと土台にしてすくっと茎を伸ばしている花には生気が漲っていた。
5月中旬 (岩木山頂上直下)07011011.tif

50. 淡い希望・ブナの新葉@
 その日は弥生から登った。大黒沢を渡りミズナラ林の林縁にはカタクリやキクザキイチリンソウ、エゾエンゴサクなどスプリング・エフェメラルズ「春のはかない命」と呼ばれる花々が咲いている。春である。積雪は2〜3mあろうか。尾根に登り大長峰辺りに来ると花の影はことごとく失せた。硬い雪面にはブナの葉芽を包んでいた莢が所狭しと落ちている。生きものの気配はない。幹根元の周囲は輻射熱で周囲の雪を溶かして穴を広げている。これをブナの根開きという。
5月 (岩木山弥生尾根ブナ林)07011012.jpg