鳥海斜面で全層雪崩が発生、水無沢上部カールでも雪崩が多発!

岩木山に入る者は雪崩に注意

2003年4月22日
2003年5月1日 写真による説明を追加

事務局長 三浦章男

赤い線で囲まれた部分が亀裂地帯です。
緑の線で囲まれた部分が鳥海尾根で発生した大全層雪崩。西に偏りながら流れている。
緑の丸が焼止り小屋の位置。


 十七日に、大黒沢と水無沢に挟まれた尾根に登った。この尾根は三本の尾根で構成されているが、真ん中の尾根を登り、右岸尾根を降りた。根開きがまだのブナ林縁から北の上部には大きな水無沢源頭が見える。さらにその上の、カール地形(注1)を思わせるような広大なすり鉢形の斜面では、三箇所の雪崩による雪層の剥離跡とデブリ(注2)、それに二箇所の大きな亀裂を確認した。スキーコースから外れているからだろうか、当該の「入山禁止区域」とはなっていない。赤倉や弥生尾根沿いに山頂を目指す者はくれぐれも注意が必要だ。

 幸いスキーコースになっている大黒沢の上部には雪層の剥離跡とデブリ(注2)、それに亀裂は確認されなかった。しかし、右岸の雪庇崩落は確実にあるだろう。それが引き金となって雪崩を発生させることは十分考えられることだ。


「雪庇が崩れるとこんな雪塊が崩落して、雪崩となる。中央の
青いものは私の帽子で、その高さが私の身長である。これから
この雪塊の大きさと重さを推量してほしい。ついでに崩落して
くる時のエネルギーや破壊力も・・・・・・。」


 今年は異常高温だ。足許にまだ数メートルの積雪を置きながら、早くもタムシバは咲き出しているし、いつもなら五月中旬に咲くイワナシがすでに咲いているのである。

 三月十五日に雪崩発生について指摘したことが的中した。しかも、その発生地点が今まで発生した場所よりも西(弘前から向かって左)にずれ、流路もその下部で大きく西に曲がって毒蛇沢へと落ち込んでいた。これも季節風の吹き出しの弱さの証明になるであろう。
 この指摘後、「弘前警察署、岩木町等」が百沢コースへの入山禁止(彼らに言わせると「登山の自粛」となるらしいが)と九十九年の発生箇所や鳥海尾根、それに焼止り小屋付近に近づかないことを勧告した。この「登山の自粛」というニュースはテレビで知った。「ようやく、官や行政が腰を上げてくれた。それにしても、こうなるまでなんと長い年月を要したことだ。」これがこのニュースに接しての最初の感想であった。

 私が一九七六年以来提案し続けてきた「雪崩地図の重要性」と「鳥海斜面のスキーコースとしての見直し、滑走禁止区域の設定」を、前者は特にマスコミが、そして後者については、公の一部が「入山禁止勧告」という形で実行したのである。長い道のりだった。既に二十八年を経過していた。
 一九七六年四月初旬に、鳥海尾根で全層雪崩が発生して焼止り小屋が全壊し、デブリ(注2)は下方六百メートルに達していた。その時から「未然に雪崩遭難を防止するために春スキーとしての百沢コースは安全上妥当かどうかの検討」を訴えてきた。
 それから十年目の八六年一月には種蒔苗代で雪崩のため四名が死亡、四月には土石流に近い形態と大規模な雪崩が、鳥海の尾根で発生した。そこで、「百沢コースは安全上妥当ではない」という訴えを陸奥新報に発表した。

 しかし、残念ながら官も行政も企業も何の反応も示さなかった。

 九九年四月二十日から二十一日にかけて大沢上部右岸で発生した全層雪崩は、高位置を起点としたため距離では、前二者を凌ぐものであった。
 さらに、前二者との発生場所の違いに注目し、数ヶ月にわたる気象データと実際の山行で視認・体感したことを加えて「冬期間の季節風吹き出し日数とその強弱が雪崩発生場所を決定する」という主旨の草稿を、「雪崩地図の作成利用」と「百沢コースは安全上妥当ではないのでコースの見直しが必要である」との意見を添えて陸奥新報に発表した。この雪崩発生の起点となった雪層の「亀裂」を、私は三月七日に確認していたが、「安全を確保するべき側」が危険と考え「その場所に近づかないこと」を勧告したのは四月十八日であり、その二日後に雪崩は起きてしまった。勧告が遅いのである。
 「安全を確保するべき側」が自主的に雪崩に関わる調査をして、なぜもっと早い時期にこの勧告をしなかったのかという意味のことも併せて、紙上で述べた。
 ところが、これを観念的で行動が伴わないものであると中傷するような投書が「安全を確保するべき側の人」からあった。この投書は私の「実行動」を全く見ていないものだった。「安全を確保するべき側」の責任の核心を指摘されたことから視点をそらすために、本意に答えず「個人中傷」が主となっていたが、うっちゃっておいたし、反論もしなかった。 あいかわらず、官も行政も企業も表だっては何の反応も示さなかった。
 この投書をした人が所属する団体は、今回の入山禁止「登山の自粛」を勧告した「弘前警察署、岩木町等」に含まれているのである。人はこれほど変化するものか。

 今回の雪崩跡をはっきりと視認したのは四月十五日の午後三時ごろである。十四日付けの東奥日報は鳥海尾根で雪崩と報じたらしいが、十五日の朝にはバスの窓越しに、晴れ渡った鳥海尾根を眺めたが、雪崩跡を視認したという記憶はない。仮に認められたところで、もちろん、入山禁止だから登って行けるわけもない。現に、当日も町内放送が繰り返し「雪崩の発生が予想されるので入山を禁止して下さい。」を伝えていた。だから、麓から眺めるだけである。
 実は、その日枯木平でバスを降りて、二ッ森に登り、そこから北東のピークを辿り、黒森(887m)を経て、ひたすらジグザグ登高を繰り返して、ブナの根開きを辿っていた。まだ根開きが出来ていない高さまで来るとまたジグザグで南東に移動するという緩やかな横ばい移動だった。持っていた気温計は二十二度まで上がった。雪面は柔らかく、ツボ足(注3)だと埋まってかなわない。雪層が締まっていないのである。このような事象を見越してワカンを背負っていたので、道程の三分の一はワカン歩行となった。
 埋まるということは…
1、「雪層が密でなく締まっていないこと」
2、「微小な雪粒同士の粘着性が欠如」
3、「凍結による固い雪層の成立とその数層構造がなされていないこと」等に因る。
これがそのまま「今季の積雪と気温異常」と言えるのである。

 ところで、雪崩による雪層の剥離跡は帰路にはっきりと眺められたのである。それは、いびつな心形をしていて末端は毒蛇沢に流れている。幅は三、四百メートルあろうか。長さはよく分からないが七、八百メートル程度であろうと思われる。
 この流れ方が今季の気象的な特徴…つまり、
第一に、季節風の吹き出しが極端に弱かったこと。
第二に、雪層が柔らかく締まっていないこと。
第三に、雪層に何重かのアイスバーン形成があまり見られないこと。
第四に、総じて暖冬であったこと。
第五に、三月から四月にかけて特に高温が続いていること。
…などを教えてくれていた。

 さらに、雪崩の剥離跡には根曲がり竹が密生している。九十九年や八十六年のように根曲がり竹が根こそぎ剥離された部分が殆どないのである。これは雪層が土石流のように大規模にローリングしたものではなく、単純に密集している根曲がり竹帯を滑り台にして、「崩落した後で滑落し下った」ことを物語っているだろう。この違いは雪層の剥離跡の違いになって現れている。

 鳥海尾根で発生した雪崩の遠望される剥離跡は、七六年のものは三角形(デルタ形)、八六年のものは楕円に近い長三角形(デルタ形)、今回が上部にくびれを持ついびつなハート形である。


(注1)カール地形「氷河によって削られて出来た半分に欠けたお椀状の窪み(圏谷と言われる)」
(注2)デブリ「流れた雪層や土石がたまっていること、または堆積物」
(注3)ツボ足「靴にワカン(わかんじき・埋まらないように靴につける道具)などを着けない状態のこと」