津軽国定公園の岩木山を中心とした青森県の環境保全に関する意見
              岩木山を考える会    阿部 東          
                       三浦章男
 第1回
(百沢と弥生の中間地点から見える岩木山)はじめに
 青森県は三方、海に囲まれ、海の自然は、ことの他大切と考えられる。青森県の海岸は
幸いなことに自然海岸が多く喜ばしいことでもある。
 しかし、反面秋田県境から鯵ヶ沢町にいた至る海岸線は、セメントによる建造物が目立
つ。白神山地は今も隆起を続ける地域であり、この海岸線はその意味では最も護岸が不要
な地域と考えられる。また米余りとされる現在、岩木川下流域の湿原が今は美田に変わ
り、昨今はあちこちに休耕田が目立つ。この地域(十三湖も含め)に唯一残されたセメン
ト建造物のない所、市浦〜中里の湖岸およそ6kmに道を造ろうとする動きがある。一
方、十三湖岸から小泊までの海岸には、最近海に張り出すような形態で道路が敷設されて
いる。
 開発を見直さなければならないような事例の中には、緊急を要するものが沢山あり、津
軽国定公園内における事例にあっては意見の持っていく場がなく困っていたところであった。
 ところで、今回の「意見の受付」は、あまりに期限が短く、しかも意見を述べるには科
学的根拠も必要であることから、我々にはそれを欠くきらいがあるかも知れない。
 私共が指摘するのは素人集団のそれであり、しかも思いつきの意見ではあるが、実は基
本に関わる重要な問題と考えている。専門家を交えた本格的な論点の基本になればとの願
いをこれに提示する。
意見及び提言
1.津軽国定公園の岩木山を中心とした「総合調査」の実施
津軽国定公園の岩木山を中心とした「総合調査」を早急に、しかも時間をかけてするべ
き時期であることを提起したい。
1970年発行の津軽半島・岩木山自然公園学術調査報告書の序には「青森県は・・動
植物、人文等の景観的要素も特異なものが多い。すぐれた景勝地は津軽半島とその基部に
聳える岩木山であってすぐれた景観と山容をもっている。・・頗るすぐれた景観を有す
る。」とある。
 また「 岩木山は津軽の焦点的存在であって、岩木山神社の御神体山として山麓周辺の
厚い信仰を集めているので、津軽半島と岩木山を自然公園に包含することを適当と考え
る。」と同書石神氏の報告にある。これは景観と信仰心を公園存在の最重要な意義として
いることであろう。同書利用計画には景観が大切にされスキー場は百沢、森山、岳のみで
ある。
 この報告を受けて1975年に岩木山は国定公園に指定され、ほぼ30年が経過するが
その後「この種の調査」をしたとは聞いていない。
 鰺ヶ沢スキー場は開設されて15年になる。開設前とその数年後に環境影響調査(アセ
スメント)をしているが区切られた対象部分だけであり、不備な点が多いと指摘されている。
 鰺ケ沢スキー場全体が国定公園岩木山にどのような影響を与えているのかという事も含
めた岩木山の「総合調査」を時間をかけてするべき時期であろう。
 その理由は、スキー場と関連施設が広大化(1999年の拡張部分を加えると約140
ヘクタールとなる)、肥大化していることにある。同スキー場の岩木山占有率は高い。
 もう一つの理由は調査の方法にある。調査地域が法定面積に満たないために環境影響調
査が簡易、非公開で済む手法を使って肥大化してきた。
 地域的な区切りによる調査は人間の身勝手さである。自然の生命には時間的地域的な区
切りはなく連環なのである。
2.津軽国定公園(岩木山を含む)と世界遺産「白神山地」を併せて国立公園とすること
で保護の網をより強固にする
(弥生を過ぎて大石神社方向に進む辺りからの岩木山・広い大黒沢源頭部が見える)
岩木山は地形的、地理的には白神山地と連続性のない孤峰という様相を見せている。確か
に後に述べるように「孤立化」した特殊な自然形態を併せ持っている部分もあるが、視点
を少し広げて見ると、世界遺産である白神山地と岩木山は回廊(コリドー)的に連続して
いるところもあるのである。つなげて国立公園とすべきではないか。
しかし、そのためには次のようなことがないように十分配慮すべきである。
*日本の国定公園や、まして国立公園さえ何のために制定したのかと疑いたくなる。「制
定」は観光開発のためではなかろうかとさえ思う。自然保護とそこには存在する人間や人
間の文化を守り育てようとする気配は微塵もない。まさにそれは、ただ、個人行動による
木草の採取禁止であり、虫や動物の採集捕獲の禁止である。
一方では道を造るために砂防林さえ伐り、開発のため地球を変形せさせている
このように哲学、倫理のない「法」によって、地球を護るなどとはもっての他でであ
り、当然国立や国定公園の特別保護区内で平気でタケノコを採り湿地を踏み荒らす。国道
に山菜採りの車が数珠繋ぎ状態で駐車して交通が渋滞しても、これを取り締まることが出
来ない状態が生じている。
*独立峰岩木山の山頂近くまで自動車道路を造り、金を取る。これは、老若を問わず
「山」を体験できる権利があるとする公正さを欠く民主主義を認めるからであり、山の自
然や地球の未来にどのような影響を与えるのかなどはまったく考えていないのではないか
と疑うものである。

(写真は6月に行われた「岩木山一周歩こう会」の時に撮影された環状道路360度から
の岩木山である。百沢から弥生へと進んで行く。今回は弥生付近のものを掲示する。)
』ここまでです。

*どなたか改行コード等を取ったファイルを作成していただければ幸いです。

                          -次回に続く-


第2回

3.岩木山の特別保護区域を広げる
 岩木山の保護区域は頂上付近だけである。これは非常に狭いのであり、信じ られないことである。
 岩木山は独立峰である。当然ながらそこに分布する生物の種類数(島に生息 する生物の種類数は島の面積に比例するように)も少ない。しかし、そこに棲 む生物は特に高標高のもの程、周りの環境から隔離されている。だから遺伝子 組合せも純系化し、そこの環境への適応度も高まっているはずである。(だか らこそ環境の変化に弱く種類数が減少する)。
 また、こうした山頂近くの植物のポリネターのうち、多くの峰達はふもとの 森林地帯の住民である。
 山頂近く1000m以上の高山部のみに分布すると一時考えられていたトガ リネズミやヒメヒミズモグラ、オコジョなどの生物も近年はふもとの平地に分 布している所もあり、山頂にいると考えられていたイワキメナシチビゴミムシ なども低山地に近縁の種が分布し、何らかの形で遺伝子の交流が行われている 可能性を示している。
 また、岩木山のある場所には600〜800mの低標高地にシラタマノキの 群落がある。つまり、これらは「岩木山の自然を守るには山頂だけの保護では 不足であることを示す」ものである。中腹部の分布種でさえ隔離による進化が 起こっているに違いないと考える。 従って、岩木山の保護区はもっと下部ま で広くする必要がある。
4.自然保護区や公園内にはこれ以上の道路(自動車道路)は不要
ア. 自然散策道のすすめ 
 かつて鰺ヶ沢スキー場や鰺ヶ沢ゴルフ場への道は、石神神社を通る岩木山の 登山道の一つであった。スキー場とプリンスホテルへの舗装道路が出来、ゴル フ場が出きると、ここに点在していた湿原が姿を消し、コマシジミ、チャマダ ラセセリ、オオウラギンヒョウモンが絶滅した。特にチャマダラセセリとオオ ウラギンヒョウモンは
ゴルフ場、スキー場を含む長平地区が最後の分布地であった。
 岩木山全体では、ゴマシジミはまだ生存しているが、オオルリシジミ、チャ マダラセセリ、オオウラギンヒョウモンの3種の絶滅が確実と見られている。
 これらは特に牛馬用の草刈場がススキや森林の荒野に遷移し、ふもとの草原 や湿地がリンゴ園になったことにともない、絶滅したと考えられるが、長平地 区は、一番最後の開発地である。
 実はこの岩木山すそ野に広がる草原は草刈の為のふもとの部落から通るふも とから中腹への「縦」の道しかなかったが、開発(畑開墾)が進むにつれ岩木 山環状道路が作られ、旧国道(弘前-鯵ヶ沢線)より上部に開発が進んだもの である。
 生態系は水の移動とともにつながるものである。上下を分断する環状道路は 生態系を絶っていることになる。岩木山には、もうこれ以上の車道は不要であ る。岩木山全体の生態系をおびやかすからである。
 岩木山は特に東側は急峻である。爆裂火口が
頂上付近に並び、東側を向いているからで、急な斜面を流れ落ちた火砕流や土 石流によってゆるやかなすそ野ができた。裾に堆積された土石のため、岩木山 のすそや堆積地の沢には空沢が多い。
 上部に水はあっても中腹には水がなく、ずっと土石流のはずれになった辺り に湧き水が起こる。この水が潜っている地質では常に水の浸透と土の洗い出し が起こり、大雨の際、土石流の原因をなすはずである。
 津軽地方には近年台風や大雨の被害がほとんどない。したがって、被害もな いが、30年前の1975年8月6日未明に発生した百沢土石流では、22名 の死者を出すなど至る所に被害があった。環状道路まで土石流が押し出してい たのである。
 行政は百沢土石流の原因として「近年ないほどの、想像を絶するような局地 的な豪雨が岩木山上部に降った。」と言う。「想像」とは個人の体験や持って いる知識・感覚によって大きな差異が生ずるものである。これはあらかじめ、 責任逃れの道筋をつけておくための便法に過ぎない。災害後、「岩木山百沢土 石流調査委員会」はその報告書で、岩木山スキー場に関して
1)森林伐採による裸地が雨水の流量を増加させた。
2)スキー場の埋め立てに使われた残土が流出した。
3)スキー場のコース、道路が土石流の通路となった。
として「土石を抑える効果を持つ森林をいつまでも保存しておくべきだ。」と 提言し、
「山麓地域の開発をやめ、土石堆積の場所として保存する。」「森林を残 す。」など五項目を上げて、県に対して実施するように指摘したが、便法的な 対処に終始する姿勢は明らかで、その後これは守られず、鰺ヶ沢スキー場など が建設されていったのである。
 道路をつくると開発が進み、自然災害が増す。もうこれ以上の道を造らない で欲しい。開発に歯止めをして頂きたい。人間が自然を満喫するためには、車 でなく、自分の足で歩くトレッキング道を作りたいものである。
 ミヤンマーやマレーシアでさえトレッキングコースがある。青森県には車道 のないところ(奥入瀬、百沢−岳間の遊歩道は車道の側)にはトレッキング コースもない。もっと多くし、それらをもっと宣伝したいものである。場合に よっては、白神山地など2泊3泊コースがあってもよい。

「山頂下部の耳成岩(ミミナシイワ)がはっきり見えるようになり、赤倉沢の 源頭部、キレット(切れ戸)も姿を現す・大石登山口に近づいてきた」イ.登山者は登山道を鰺ヶ沢ゴルフ場とスキー場に奪われた
 以前の、長平口からの道は、とにかく土と石ころの道でありところどころに 穴ぽこがあったり、車の轍があったりで、牧草地の中を緩やかに左にカ−ブし て続き、かなり歩いた後に、ようやく石神様への分岐に辿り着いたものだ。し かし、今はアスファルトの舗装道路に変わった。しかも長いジグザグを数回繰 り返して、やっと取りつきである。スキ−ヤ−とゴルファ−に懐かしい登山道 は呑み込まれ、その結果がこのアスファルト舗装道路に取って代えられたので ある。                       
 今はまさに、この舗装道路からは完全に「草原の野趣」は消えていた。ある とすれば、ゴルフ場の中だけであろう。岩木山にある登山道の中で、この長平 口の道だけが四方に広がる「草原の中」を走っていた。黒皮の牛たちが寝そ べっていたこともあった。鵝が放し飼いされていたこともあった。そして、そ の中に、ぽつりぽつりと灌木が立っていた。  オオジシギが、飛行機の爆音 まがいに羽音をかきならして、急降下している。この鳥は「草原の鳥」だ。今 ではあの勇壮な衝撃音を聞くことは無理かもしれない。
 夕方、「草原の林の中」で「てっぺんかけたか」とホトトギスが鳴いている。
「草原の上空」をあかねとんぼが埋め尽くす秋、そして、牛もいなくなって、 潅木だけが強い西風に立ち尽くす冬。四季折々、そこには自然の息吹きしかな かった。なにもなにもみな静かな世界、とりわけ冬はそうであった。このよう に、春、夏、秋、冬と「草原が持っているそれぞれの情趣を満喫させてくれた この地」は、それに「私たちが大事にしていた草原の登山道」は、ゴルフ場に 奪われてしまったのだ。
 そして、それに続く上部の登山道は、ゲレンデに埋没しゲレンデに追いやら れ切断され分断されている。
 スキ−場やゴルフ場の設置者は、先人と私たちが守り続けてきた登山道を、 なんの相談もなく一方的に奪ってしまった。勝手に道を付け替え、風情まで破 棄し挙句の果ては、「関係者以外の立ち入り禁止」の高札で、傍らへ傍らへと 追いやる勢いなのだ。』

*どなたかあやしいスペースのような、わけわかんない改行コードを取り払ってくれれば幸いです。