ウバ石

幹事  小野 晃

 女人結界(にょにんけっかい)という言葉があります。霊地の一定区域に女性が立ち入るのを禁ずることです。女性の存在が修行の妨げになるとか、女性は不浄のものであるとか、という思想が背景にあります。
 岩木山も修験者によって開かれた霊山だとされていて1872(明治5)年まで女人禁制でした。岩木山に限らず、女性の立ち入りを禁じた霊山・霊場は全国各地に存在しました。
 ウバ石というのは女人結界を示す石であり、ウバ石までは女性の立ち入りが許されますが、その先に入ることは固く禁じられ、ウバ石で霊地を拝することとされたのです。禁制を無視して登拝しようとした女性が、石と化してウバ石になったという伝承を持つ霊山もあります。

 ここまで「ウバ石」と書いてきたのは「ウバ」に当てる漢字がまちまちだからです。 岩木山のお話に戻ります。
 岩木山には現在6本の登山道があります。昔からウバ石があったのは、百沢、大石、長平の登山道です。御山参詣の道は百沢、長平登山道が特に重要で、大石登山道がそれに次ぐ道だったようですから、ウバ石の存在は当然のことだと思います。そして、この3箇所のウバ石にはしばしば注連縄(しめなわ)が張られているのを見たことがあります。

 百沢登山道のウバ石は姥石と書かれてきました。現在も登山道の傍らにあります。標高は約720mです。地形図に記載はありません。


*写真の標柱は百沢登山道にある姥石を示すもので石の約3mほど上部に建っています。
 これには『女人禁制時代、女性の登山者はここより一歩も上に登山することは出来なかった』と書かれています。

 

 大石登山道のウバ石は地形図に伯母石と記載され、標高約900mの地点にあります。この石はかなり大きなもので、登山道はこの石に突き当たって右へ回り込んでいます。当てられた文字には関係なく、これもウバ石ということになります。


写真左(上) 大石(赤倉)登山道伯母石の直ぐ前、人工的に切られたような大岩が伯母石
写真右(下) 伯母石の直ぐ向かって右に立っている石仏

 さて長平登山道のウバ石ですが、現在は見当たらないようです。大きさは百沢登山道の姥石と似たようなものだったと記憶していますが見付からないのが不思議です。私の記憶では、登山道の東側にちょっとした平地があって、そこに据えられていました。標高は約580m、昔は鰺ヶ沢営林署が立てた案内標柱があり■石と書かれていました。もちろんウバ石と読むのでしょう。羽黒清水のもう少し下の辺りになります。この■石が消えたのは、周囲がブッシュに覆われてしまったためなのか、ひょっとすると石神様へ行く自動車道が建設されたことと関連があるのかも知れません。

 弥生登山道の姥石は標高約1000m辺りの岩を呼んでいるようです。この登山道は1959(昭和34)年頃に開発されたものなので、姥石の名称は古来の山岳信仰の風習に倣って付けられたのではないかと思っています。

 また岳登山道の旧道である湯ノ沢登山道では、湯ノ沢の源頭に当たる爆裂火口(通称、鍋)の底(標高約1200m)にあった石が姥石だと聞いたことがありましたが、こじつけのような気がしました。

 ところで百沢登山道の旧道は、現在百沢スキー場になっている尾根なのだそうです。江戸時代、弘前藩作成の絵図もあり1877(明治10)年頃まで使われていたそうです。その資料ではウバ石は乳母石です。標高約1000mです。

 修験道も山岳信仰も、今は遠い昔のことになりました。かつて霊山・霊場といわれた地域にその名残が見られる程度になったようです。ウバ石も、そのいわれを考えることもなく、邪魔だと片付けられるかも知れませんし、単にある地点を指す地名として残るだけとなり、石の霊力とか永遠性を信仰の対象とした思想も消え去って、岩木山をめぐる歴史の中に埋没して行くのでしょうか。