【 寄 稿 】

ゴミソ

阿部 東

 何十年も昔の話である。同僚の太平宇宙という五所川原農林高校の化学の先生と岩木山の水無沢へナメコ採りに入ったことがあった。
 11月の半ば頃だったと思う。しばらく進むと、私たちの前を先行する小さな足跡に気付いた。30分位で前の方に人影を捉えた。木が伐られて間もない沢は見通しがよかった。私達の歩みは遅くなり、太平先生の息づかいも激しくなった。
 子供?……。髪を振り乱し、手に何かを持ったやせて背の低い女性の横を通り、追い越した。伏し目がちの目が白く見えた。「チワ」私はやっとの声であいさつした。白眼視である。肩やら胸あたり、衣服から湯気が立っているのが判った。「アベ先生、寒いじゃ、背中ジャワメイデ先さいきたくない。」私も同感である。すぐ先からやぶこぎをし、急斜面を登った。
40分位で大きな石のあるブナ林の中の登山道に出た。キノコどころではなかった。
 登山道の入口、落葉松の林をくぐると車のある場所である。ここには小屋があって小屋の住人(イタコ?)がいた。
先日会った船沢の公民館の館長さんは、イタコのバアサンが100才で亡くなったと教えてくれたが、山の中でのことをこのイタコのバアサンに話すと「その人はゴミソだびょん。」という。子供の頃からゴミソをしている人で、時々修行に来ては山の中に1人で2~3日泊って帰るという。
 源氏物語の中で、紫の上を苦しめる憑物を子供の霊媒によって追い払うことがのべられている。霊媒だったということらしかった。
 ゴミソはイタコとは違う。イタコは師より伝えられる秘儀の取得者であるが、ゴミソはその人が突然自分が神であるという気が付くという。いわゆるシャーマンである。
修行とは異能力者が自分の能力をみがく苦行のことであろうか。厳しい環境に耐え、それを乗り越える能力を得る。行者は最も厳しい環境として険しい山を選ぶ。山岳信仰は
それら苦行、荒行とも関連しているように思われる。岩木山はシャーマンの修行の場でもあったのである。