【 寄 稿 】

フクジュソウの春

2012年4月 会報57号より 記、画 阿部 東

 雪どけが進み、土が斑雪の間に顔をのぞかせた所に、軽い緑色に包まれた黄色の頭を出す。まるで太陽を恋ふる様に陽光に向かって開き、その輝きはまさに福ふく草(花壇綱目1681)に価する。
 朝鮮、中国東北部シベリアアムール川、日本では本州北部、北海道に分布する。アイヌ研究者の更科源蔵は、フクジュソウがイトウが川を遡行する時期に咲くことから「チライ・アパッポ」(イトウの花)と呼びチライ・アパッポが咲くと銛を磨いたと記している。
 津軽でも雪の少ない津梅などでは四月の上旬に緑色の葉につつまれて花を咲かせるが、弘前では相馬藍内、座頭石、久渡寺など雪の間から蕾だけをぞかせる。あちこちに自生しているが、それに気が付かないのは早春に花が終わるからである。
 小学生の頃、春休みは鮒釣りが年中行事であった。雪どけ水がいく分温む、午後2時頃釣竿を手に用水路をまわる。雪が消えた所でシロ(細い、小さいネギで、小さな球根がついていた)を抜いては少し辛いのを食べたものである。
 いつのことがよく判らないが、雪が降り出した中で、川の土手の枯葉の間から黄色の頭を見つけたのがフクジュソウとの初対面である。不思議に思って一本だけ掘り起こして庭のすみに植えたことがある。小学4年生に弘前市内の小学校に転校し、釣りもしなくなったこともあり、2~3年も忘れていたが、小学校6年生の春、雪が消えかけた庭先に眩いばかりの黄色を見つけることが出来た。私はうずくまって希望に満ちた春の訪れを満喫した。私が気付かない年もひっそりと咲きつづけていたに違いない。
 観桜会が近づき、学校の回りが急にさわがしくなった午後、ソフトボールが外野に飛んで、拾いにいった草叢、草丈が伸びて、花ビラが散ったそれらしきに気がついた。そこに移植したという用務員のオジサンに聞いてフクジュソウの名を知ることが出来た。私が見たあの黄色の蕾と同じ物とはどうしても思えない代物であったが、フクジュソウと聞いて納得した。