*本会事務局長三浦章男さんの陸奥新報連載「岩木山の花々・癒しの山に安らぎを求めて」が終了しました*
       

 毎週月曜日に掲載されるこの連載は二期に渡り、通算すると二年六ヶ月に渡りました。 第一期は一九九九年九月六日の陸奥小桜(ミチノクコザクラ)に始まり、二〇〇一年六月十八日の蝦夷御山竜胆(エゾオヤマリンドウ)、深山飯子菜(ミヤマママコナ)までの六十五回でした。
 第二期は二〇〇二年九月十六日、六十六回の福寿草と丸葉金縷梅(マルバマンサク)に始まり、二〇〇三年九月二十九日の千振・角榛(ツノハシバミ)までの百七回でした。このシリーズで紹介した花は二百二種となりました。

そこで三浦さんに次のことを訊いてみました。 最後まで読むといいことがあるかも???(編者)


☆このシリーズを始めるにあたって心がけたことは…☆
  『私は岩木山に登ることが好きなんです。ですから、春夏秋冬岩木山に通っています。これまでの岩木山詣では千数百回は越えているでしょう。花にも惹かれますが、真冬の岩木山も山頂部から山麓までとても魅力的です。山とはそこに行かなければ真実の姿には出会えないものだと思います。
 私には「専門」などという仰々しいものはありません。大学の卒業論文は「平安古典に見られる女子教育思想」というはなはだ文系的なものでした。そして、高校で三十八年間国語を教えてきた教員に過ぎないのです。ですから、理系とはまったく無縁で、まして山に関係のある地学(地質・地形・気象・天体)や生物学の植物・植生、動物、昆虫などとは少しも関わりのない生活をしてきました。
 このように植物的な専門性・知識がありませんので、花を含めた回り全体を「あるがままを観る」という虚飾のない観察に徹しました。さらに、あくまでも道すがら出会う千載一遇・一期一会を大切にするという登山者の視点を保持するようにしました。その上で、私の感性表現を構築するという手法をとりました。このようなことから私は「通行人的な登山者」にはなれなかったと思います。』

☆このシリーズ中のエピソードみたいなものはありますか…☆
 私は「岩木山を考える会」主催の『写真展』にここ数年来出展しています。また写真展の「まねごと」みたいなものを「みちのく銀行岩木支店」と岩木高原無料休憩所で「岩木山の花」を中心に数回開きました。その「岩木山を考える会」主催の『写真展』アンケートの項目の一つに「一番興味深かった写真は何か。その感想。」というのがありまして、答の一番多かったのが「岩木山の花」だったのです。入場者の中には、そばに置かれた「岩木山の花々」の切り抜きファイルを一時間以上もかけてじっくりと読んでいた者いました。嬉しかったことよりも人々の岩木山の花に対する愛着の強さに感銘しました。陸奥新報には批判や非難が沢山いっていて私に直接来なかっただけかも知れません。
 その時に、『「岩木山の花々」を見て紙上登山をしている。いつまでもこの登山をしたいので、これからも写真があるのなら続けてほしいし、出版してほしい。切り抜きを忘れたり、ファイルも大きくて収納が難しいので、一冊にまとめてくれると大変嬉しい。』という要望を多数受けました。 また、陸奥新報が独自で取ったアンケートの「本紙の何を中心に読むか」に「岩木山の花々」をあげてくれた人もいました。
 そのほか、電話やメールなどでの質問・意見も多数ありました。「環状道路を車で走行していて、ちらっと見えた白い花は何でしょうか。」というのもありました。これなどは答えるのが簡単でした。「解りません。」としか答えようがないからです。一番困ったのが「どこに咲いているのか。」という質問でした。基本的にこれには答えないことにしていました。本当に実物を愛でる人だけならばいいのですが、中には「採る・盗る」人もいるわけですから。花名の表記については「複数あるのに、なぜあの漢字でなければいけないのか。」というものもありまして、これには「感性的に表現されている内容との整合性からです。」という内容の文書で答えたりしました。また、花名が左右反対になっていたこともありました。この時は私がまだ見ていない早朝から電話が相次ぎました。
 また、「ファイルにして読み回して鑑賞会や花の学習会を開いている。」「実物が見たくて老いた体にむち打って岩木山に出かけて確認した。」「私はもう行けないけど、あそこにはきっとあれが咲いている。」「現在あそこに何々が咲いている。」「本にするのであれば、今から注文しておきたい。」などという情報や要望が沢山ありました。


 詩人のI氏は次の一文を寄せてくれました。 
『かつて私は、ひっそりと山陰や谷間に咲く花々に、健気さや、純粋さ、か弱さを思った。いまは加えて、厳しい環境の中で、いつも昂然とした姿勢を保ち続ける芯の強さに打たれる。傍目にどれほど弱々しく映ろうと、自己主張して止まぬたくましさと輝きに、思わずうろたえてしまう。自分を問われているからだ。
 人間などというもの、ひ弱いゆえに傲慢にふるまい、無知であるために頑迷に、卑小を隠そうとして他人の心を傷つけてしまう。そんな姿を小さな花々に見透かされるような、頼りない気持ちにされてしまうせいかも知れない。野山を散策しながら人間は、いつか素の生き物になっているのだろうか。
 このシリーズを通して読んでいると、花も人も広大な自然の一部であり、共に生きるものという思いに誘われる。おごってはならない、偉そうにすることもない。
 ただ、「そのまま」に生きていくことの意味の深さを思う。足元の草木一本一本、市井に生きる人一人ひとりにに柔らかな視線を感じさせるこの本シリーズのさらなる充実に期待したい。』

 このように好意的で励ましの情報と要望の中で、時々出会う「盗掘の現場」は私を奈落の底に突き落とすものでした。盗掘された極端に生息場所が限られ、しかも数が少なく、そこから消えると、岩木山から消滅する「岩木山の絶滅危惧種」と呼べる花々のことを思う時、私の胸は苦痛にゆがみました。

☆これから、このシリーズをどうしようと考えていますか…☆
 『岩木山は広い山ではありません。近年ますますその自然的な面積は減少しています。通称ハチマキ道路(県道環状線)も六十キロメートルを越えないし、山麓の上部を走っています。もし山麓下部までを岩木山とすればもっと広くなるはずですが…。私が出会えた花々は登山道か、それに沿って踏み入った僅かの範囲内ですから、岩木山のほんの一部分のものでしかないのです。
 しかし、幸いにも四百種を越える花に出会えています。出会ったものでまだ紹介していない約二百四十種の「岩木山の花」の写真もあります。また、花名の確認出来ないものも数種あるんです。これらの花々を紹介出来ないまま、このシリーズを終わることは実は残念です。それに、樹木の花が少なかったことも心残りです。 
 私の記憶では、これまで「岩木山」と限定して花を収載した資料的、図鑑的なものはないはずです。だから「登山者」の視点で捉えたそのようなものを残したいと考えて執筆し、撮影してきました。あったならば、私はその不足分を補完すればそれでよかったのです。
 連載中多くの人からの「岩木山の花々」出版の要望がありました。私はこの多くの要望に応え、一方でこの「資料的、図鑑的なものはない」事実を踏まえて出版を決意しています。最初はこのシリーズに五、六十種加えて約二百七十種の花を収載して発行しようと準備をし、原稿も書き進めていたのですが、最近は、これまで撮影した残りの写真二百種すべてを索引的な表現で掲載して、約四百五十種の花を網羅する形で一冊の本にまとめて出版したいと考えています。そのためには予定よりもかなり時間がかかることになります。
 私は登山者としてこの四十数年間、全的(総合的)に岩木山をとらえ、岩木山と行政、自然破壊、厳冬期の岩木山、雪崩、植生としてブナ林の観察、高山植物や希少種植物の盗掘、登山者(客)と登山道、遭難事故などと関わってきましたがこれが完成すると「登山者として岩木山と関わってきたことの一側面の解明」としての足跡くらいにはなるのでは思います。

 ところで、シラタマノキ、エゾシオガマ、エゾノツガザクラ、ナガバツガザクラ、オヤマノリンドウ、センブリ、キキョウ、アズマギク、ヤマジノホトトギス、エゾフウロ、ヤマシャクヤク、それにランの仲間(イイヌマトンボ、ヒトツボクロ、アケボノシュスラン)などは極端に生息場所が限られ、数の少ないことが解りました。これらはその場所から消えると岩木山からなくなってしまう「岩木山の絶滅危惧種」なのです。悠久の岩木山を残すために、掘り抜き等は絶対にやめてほしいものです。

 今回写真を提示した花の中で青森県レッドデータブックに収載されているのはイイヌマトンボだけです。

 因みに長野県や京都府等では提示してあるすべてを「絶滅危惧種」と指定して保護に務めています。青森県は自然がいっぱいなので絶滅することがないと高を括っていることそのものが保護行政の遅れです。県自然保護課には強く訴えたいと思います。

数の少ない岩木山の蘭たち (これらには観察と自然への共感能力を発揮しないと会えません。)

曙繻子蘭(アケボノシュスラン)
岩木山と関わって四十数年、今年初めて出会った花です。まだまだ出会いのないものが存在しているでしょう。自然の懐は深いのです。

飯沼蜻蛉(イイヌマトンボ)
イイヌマは人名に由来。環境省絶滅危惧種IB。珍種です。ほんとうに滅多には会えない花です。

蝦夷鈴蘭・青鈴蘭(エゾスズラン)
数回会っていましたが「最盛期」のものに会ったのはこれが初めてです。

采配蘭(サイハイラン)
ショウキラン同様に岩木山では非常に珍しい蘭の仲間です。

一つ黒子(ヒトツボクロ)
蘭という名を持っていません蘭です。限られた登山道沿いに見られるだけで、小さな花で地味なので気をつけないと見落としてしまうでしょう。

深山小双葉蘭(ミヤマコフタバラン)
標高千三百メートル付近の「ある登山道」だけで見られるものです。花は地味ながら小さい双葉の上を舞うさながら臙脂の千鳥でしょうか。