キバナイカリソウ(黄花錨草) 若葉の海に揺れて漂う萌葱の錨

ウスバサイシン (薄葉細辛)陽光に恥じらい身を伏す土の精霊

 百沢から登ろうかそれとも岳からにしようかとバスの中でずっと迷っていた。先週 は岳から登り、ブナの芽だしと残雪を楽しんだのだ。百沢登山道沿いにはブナ林がな いといっていい。僅かに焼止り小屋付近にあるだけで、それも低木である。ブナの芽 だしを楽しもうとすれば、皮肉にも樹木が伐採されてしまったスキー場を標高約九百 メートルまで登ってブナ林に入ることになる。雪消えで赤土と裸地化したスキー場を 登ることほど寂しく空しいことはないだろう。雪のない夏道を歩くのもいいなと思っ た。迷いは消え、私は神社大鳥居の前に立っていた。登り始めて二十分、視線は自ず と道の左右にいく。石切沢に架かる丸木橋を渡りきる直前、左側に向いたなり歩みは 止まった。何だろうという訝しさもなくキバナイカリソウだと閃いた。見ると直ぐ解 り、見ると忘れない不思議な花の形や付き方、咲き方である。それはまさに萌葱の錨 と言っていい。
 七曲がりを過ぎて、カタクリなどが見よがしに咲いている中に、ひっそりと素朴 に、しかも苦しそうに咲いている花と出会った。
 ウスバサイシンである。このような出会いには驚きと同時に、苦悶と親しい疑問が 走る。「何がそんなに苦しいのだ。私にしてやれることはないかい。」と言葉をかけ たくなる。その茎の捻れや葉の捩れは何なのだ。蝉の羽化のように固い「冬」を脱皮 して春をまとうのであろうか。それとも春の陽ざしに恥じらっているのか。カタクリ などに比べると余りにも目立たない地味な花。だがそれが逆に目立つことになりはし ないだろうか。そんな花がウスバサイシンである。これには「緑色の花」をつけるも のもあり、こちらのほうは瑞々しい清々しさで春を謳歌する精霊そのものであるよう な気がする。

メモ: ウスバサイシン の花には緑色をしたものと濃い臙脂色のものがある。図鑑 で調べた限りではこれを別種としてあつかってはいないようだ。私は便宜上「ミドリ ウスバサイシン」と呼んでいる。