チゴユリ(稚児百合)  純粋な生命力に、強さ漲る童子たち

 花は時を追って姿を消していく。そして、時を追ってその花の生存限界の高みへと登っていく。これは見事なくらい整然と実行される。まるで岩木山全体が何かによって制御されているのではないかと思えるほどだ。しかし、それは違う。花を咲かせる時期を微妙に、ずらすことによって共存を図っているに過ぎないのだ。同じ岩木山という「土壌や風土」を争いのない中で、利用し共有していると言ったほうがいいだろう。願わくは私もここの植物になりたい。逞しくも弛まぬ植物の知恵である。カタクリやマイヅルソウが消え、今、チゴユリがベニバナイチヤクソウなどと共生している。
 確実に季節は春から夏へと向かっていた。高い太陽は陽ざしを狭い角度にして登山道の赤土を照らし、さらに、その照り返しが道の両側や林縁を蒸しあげていた。その熱い草いきれの中にチゴユリが咲いてる。他の草や葉の出すいきれをも滋養に変えんばかりの生気だ。チゴとは稚児のこと、これは元気で逞しい。これを冠した花は可愛いし、強い。高山植物のチングルマは「稚児車」の転訛だ。これらの群落を作る数の多さと生き生きとした姿には強さを越えた凄絶ささえが感じられる。