コメバツガザクラ (米葉栂桜) 深緑の褥に眠る白き産着の赤ん坊

 五月末、山岳部にとってはその年に入ってから三度目の山行となった。三月の久渡寺山、四月の弥生尾根、そして、その日の赤倉尾根登りである。
 雪の多い年だった。祠屋群を抜けて取り付いた尾根の左側には雪庇状の積雪帯がどこまでも続く。石仏も二、三が頭を出している程度で大半は雪に埋もれている。部長を先頭に、最後尾が私という七人パーティはひたすらその積雪帯を辿った。群青色の空は春だったが、足許に限られる視界はまだ冬。
 ようやく風衝地、赤倉大開に到着。この辺りは大鳴沢に向かって雪はまったくない。少し早いが昼食を兼ねた大休止だ。その間に、私は古い踏み跡を辿って赤倉のキレットまで岩を伝って降りて行った。
 辿る足許と手元に白い小粒が揺れる。それは深緑の褥(しとね)に白い産着をまとって眠る赤子たち。途中かすかに覗かせていた石仏の顔を彷彿させる優しく穏やかな風情が漂う。コメバツガザクラだ。
 大鳴沢上部から西に伸びながら急な斜面に貼り付いている雪渓をアンザイレンをしながら登る。太陽をあまり浴びない北や西の斜面の表層はざらついているが、その下層は厚い固氷となっていて下端部で装着したアイゼンに助けられる所もあった。中央火口丘山頂本体に取り付いた。耳成岩寄りの斜面には雪が残っている。そこを登りながら残雪の縁(へり)を見た。
 
 春の訪れが早かった今年、降雪と積雪が少なかった今年、岩木山の花々はそろって早く咲き出すものかと思っていた。山麓ではそれにあてはまる花もある。しかし、山頂部では例年と余り違いがない。赤倉お堂付近より標高で200mほど高くなると今が盛りと咲いている。季節の微動にも動じない生命には感服するばかりだ。写真2(右・拡大)は320mmレンズと三脚固定で約15mの岩上に咲くものを写したものだ。これほどの集団になると赤子の命というよりは、山の、地中の、それに天空の命すべての輝きに見えてしようがない。

メモ: キレット  稜線が鋭く切れ込んで低くなっている所。
    アンザイレン  ザイル(ロープ)を数人が結び合いながら行動すること。