ミヤマスミレ(深山菫) 山道で微笑み語りかけてくれる一時の安堵
シロバナミヤマスミレ(白花深山菫) 登る意志を烈しく鼓舞する生々の気

 

 五月の下旬。五月晴れである。風がないわけではないが暑い。登りはじめた頃、太陽は東の空にあって躰の側面を照らし、その上高い木立がそれを時折遮ってくれたので暑さをあまり意識しなくてもよかった。ところが、この高さまで登って来ると、陽ざしはまともに背後から迫ってくる。ザックを背負っているので背中を直射されることは避けられるが、後頭部と首筋を執拗に攻めてくる。汗がじわーと湧き出て、額に捲いているバンダナは汗を吸い過ぎて、すでに一回絞っている。背中の重さが恨めしい。夏場の日帰り登山でもいつもの重さは平均して十二キロ。多い時は十五キロを超えることもある。何かあることを想定すると単独登山ではこのくらいの重量になることはやむを得ない。私は速くはないが登り続けるタイプである。カメラを構える時が瞬時の休憩になっているようだ。カメラに顎から汗が落ちる。手でそれを払った時、顔が横様に動き視線が大きく回転をした。それと一緒に淡い桃色が視界の中でくるりと回った。そろそろ会えるぞという思いは的中した。また会えた。ほっとする。ミヤマスミレが微笑みながら「ようこそ」と語りかけてくる。
 芭蕉はすみれになんとなく心惹かれたという意味の句「山路来て何やらゆかしすみれ草」を野ざらし紀行に残している。私は今、芭蕉を超えた喜びと幸せに浸っているのだ。
 この道の少し上部ではシロバナにも会えるのである。頂上は間近である。疲れ萎えかけている気持ちを烈しく鼓舞する生き生きとした気迫がシロバナの方には漂う。頑張ろう、あと少しだ。同じ花なのに色彩の違いがこれほどの受ける感覚に違いを与えるものであろうか。それが不思議でならない。