イワツツジ(岩躑躅)
           きらりと光る一途なまでの永遠の孤高

 山の花は不思議なものだ。さっきまであっちにもこっちにも見えていたのに、す〜と影を潜めてしまう。可愛いピンクのお嬢さんたちの歓迎に気をよくして足早に高度を稼いだら、いつの間にか彼女たちは姿を消していた。イワナシが育つ高度限界を過ぎたのだ。ところが、ふとまたイワナシの影がちらついた。妙だなあと思い、「この辺りの高さでも咲くんだ。」と独り言を呟きながら、またファインダーを覗いた。
 手ぶれをおこすほどの息切れも感情の高揚もないはずなのに、覗いているうちに、カメラを持つ手が小刻みに震えだした。
 私は驚いていた。これはイワナシではない。似ているが違う。まさか「似非なるイワナシ」でもあるまい。もう既に何回も会っていたのかも知れないが、私にとっては最初の出会いとなった。
 眼にしていることと会って見ることとは、理解をしている・していないほどに違うのである。
 それは淡く桃色に輝くイワツツジであったのだ。その一途なまでの孤高に触れて、手の震えは治まらなかった。幸せな気分が広がり、その中で長いこと気づかなかったことへの非礼を深く詫びた。
 静かな山旅は山頂に近づくにつれて終わりとなる。不幸にして岩木山で亡くなった人たちの鎮魂の「鐘」も、登山客に立て続け殴打されてはたまらないだろう。また、殴打による音は騒然さであって、神が宿るという山巓には似つかわしくない。