キクザキイチリンソウ (菊咲一輪草) 
               春、色彩を超えた原初の命野生のアネモネ

 五月も二十日を過ぎていた。考える会主催の「観察会」を六月の上旬に二子沼を中心に開催することが決まり、事前踏査のために友人のMさんと出かけることになった。
 林道終点から小白沢の右岸尾根に取り付いてブナ林の中を行く。白い樹皮に濃いめの夏葉影をさらさらと映し、根もとには乾いた茶色を覆いながらブナは立っている。二十分も歩いたであろうか。沼に近い。靴底が軟らかい土の感触を伝えた。まだ平地の四月中旬を装う雪消え間もない潤いある褐色の土、そこに色彩や美を超えて生命の原初を見た。命を突き出さんばかりに咲くキクザキイチリンソウである。
 ギリシャやローマの神話では、美の神が流した涙や美しい侍女アネモネが、この花に変わったと伝える。生まれ変わるにはこのような強い生命が必要であろう。イチリンソウを含めアネモネの仲間は美しく強靱なのである。花の色は濃い紫から薄い青、純白と変異が多くみな美しい。咲き方も多様だ。久渡寺山では伐採地の小木がまだ葉を出していない枯れ野を一面に敷き詰めるように咲いている場合もある。カタクリなどと一緒に咲いている時は、特に濃い紫色のものは目立つ。これには、弥生登山道の大黒沢右岸で出会ったが、この道ではカタクリは全く見えず、ヤマエンゴサクが僅かに彼らと競っていた。
 古代ギリシャではこの紫が、染料の中で最も高価で高貴な色として王の衣を染めるのに用いられたというが、現代科学でもこの微妙な濃紫色の違いは超えられないだろう。場所や光線の加減でみな違うのである。花はすべて「そのまま」がいい。