シラネアオイ (白根葵) たおやかな肢体に薄紫の花、林床樹間の恋人

 山は好みから言うと残雪期が楽しい。尾根道には高さを増すにつれて低い雑木が現れた。東の斜面を登っているので日ざしに汗ばむ。ミズナラ、サワグルミなどが次々と出てくると林間の道となる。日ざしが新緑に遮られると急な登りになったとしてもほっとする。やがてブナが混在する林間になる。ちょうどそのような場所で・・淡く透き通る木漏れ日の中、樹間の草々のうちにシラネアオイと出会うのだ。太陽の直射を避けながら薄紫の花をゆったりとたおやかな肢体に委ねて、ひっそりと林床に咲いているのがシラネアオイである。登山者のだれもが優しく迎えられていると思える風情がそれにはある。歩みを止め、愛でて語らい、出会えたことの至福にひたって休み、そして次の出会いを約束して別れを告げるのである。

 正午近くなっても晴れ。山頂からの眺望は三百六十度、凱風(*1)が心地よい。残雪を辿って百沢へ降りよう。耳成岩の西側を捲いて、急斜面なのだが鍋底のようになっている後長根沢の倉窓上部に着く。さらに大沢から蔵助沢の左岸の細い稜線を通り、ブナ林を辿って雪の消えたスキー場尾根の上部に出た。間もなく広い尾根の両端に僅かながらブナを残すスキー場に入る。樹木はなく、ひこばえ(*2)も伐られて根株だけを残している。前方を見て驚いた。その裸地同然のゲレンデで太陽を浴びてどぎつい紫色で咲いているシラネアオイが群落をなしていたのだ。人が自然の総体的な生命のバランスを崩してしまった結果の変異であるに違いない。私は歩みを止めずにその場を離れた。

(注) *1 凱風  初夏に吹くおだやかな南の風
    *2 ひこばえ  切り株から出てくる若い木